仏恥義理男塾
-仏恥義理男塾- 第29回

必勝!不良講座
生と死・・・



横浜銀蝿 -仏恥義理男塾- DiGi/USER 11月号原稿

《タイトル》

必勝!不良講座
生と死・・・

《本文》

きなりで何なんだが、
今回は、わりと重めの話題をとりあげたいと思う。

そう・・・テーマは“生”“死”だ。

どんなに時代が進み、どんなに我々の生活の様子が変化しようと、
人生には“生”と“死がつきものである。
ちょっと視点を変えれば“生まれてから死んでいくまで”、これが人生なのだ。

ちょっと説法じみた話題であるが、
以前に“武士”の話題の時にも言ったように、
そいつの人生観ってのは、
言ってみればそいつの生死観にも等しいわけで、
普段どのように“生”や“死”をとらえているかによって、
ずいぶんと男としての生き方も違ってくるように思う。

現代の日本に住んでいる我々は、
特殊な例を除けば、生や死に毎日直面するなんてことはないだろう。

しかし、ごくごく普通に生活していたとしても、
子供の誕生友達や肉親の死等、
“生”や“死”について考えさせられてしまう機会は必ずあるものだ。

初めて自分の子供の顔を見たときの気持ち、
さっきまで一緒にたむろってたダチが
首都高の柱に突っ込んでグチャグチャになっちまった時の気持ち、
オヤジが病気から開放されて静かに息を引き取ったときの気持ち・・・
俺も42歳になってくると、
自分自身の体験だけで考えても見えてこなかった人生全体のスケールが、
身近な人々の“生”や“成長”、そして“死”に触れている間に、
だんだんとなんとなく実感できるようになってきた。

「あ〜そっか、俺もこうやって生まれ育ってきたんだ。」
「わかるわかる。俺もこの頃はこんなだったぞ。」
「なるほど、今の俺は、オヤジのあの頃と同じ年齢だな・・・」
「すると、あと○年すると俺もあんなかんじな年齢なわけだ・・・」
死ぬってこういうことなのか・・・」

みたいに、生まれてから死ぬまでのだいたいの尺度が見えてくるわけである。

実際の話、意外に短いよな・・・人生ってば。
そなるとよけいに、“生”や“死”についての感覚が重要になってくる。

この自分自身が、
何故何の為にこの世に生を受け、
そして、何をしてどうやって死んでいくか?

この基本的な命題について多少なりとも、
自分なりの答えを持って生きているといないとでは、
毎日の過ごし方意識
そして生き方のに、かなりの違いがあると思う。

俺はね、まだまだケツ青いんだけれども、でもこの頃はようやく、
自分の人生はそりゃもちろん自分の人生なんだけれども、
でも、自分の為だけのもんじゃないんだろなって事だけには気付いているんだ。

少なくとも、こんな俺の誕生や存在、そして俺の死にだってさえ、
俺だけじゃなくて他の誰かにとっても、
とても重要な意味があるんだってことくらいまではわかってきたんだけれど、
でも、大切な誰かが死ぬと悲しいじゃん。
でも、どうして悲しいんだろ?
なんで“死”って悲しいの?
その人がいなくなっちゃうから?
寂しいから?
いないと困るから?

そんな問いに対する答えには、まだまだ行き着いていない。

というわけで諸君、
巻き戻し早送りも、
そして一時停止もできないこの一回こっきりの人生。

男として、女のケツ追っかけることや、
金儲けに四苦八苦することもおおいに結構。
それはそれで男として非常に重要なことだ。

しかしたまには、その人生そのもの、
つまり“生”“死”について真剣に考えたり、
何の為にこの世自分がいて
何をどう行って、そして死んでいくのか?
みたいなことに思いをはせるのも、
やっぱ男として、それもとても必要なことだと俺は思う。

自分なりの人生観、そして生死観・・・
まだまだ道は遠いなぁ・・・精進精進。


-了-


《今月のお薦めサイト》


“生”と“死”に関するサイトを集めてみた。
俺は、別に特定の宗教にこだわる必要はないと思っている人なんだけれど、
でも、男はそれぞれ自分なりの生死感にはこだわるべきだと思ってる。
人生は自分探しの旅だどお。


○ 死と生

○ 生と死を考える会のホームページ

○ ことわざわーるど 〜人生、生と死、運命〜

○ 生と死の格言

○ 「いのち」を追って

○ 生と死を見つめて







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