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DIARY

2002/02/03(日)

たしなみ
先日、毛筆のお手紙をいただいた。

その達筆な細字の行書の書面から、
その女性(ひと)の人間としての深さがうかがい知れた思いだった。

手紙としては、
ごくごく挨拶程度のシンプルな文面だったんだけれども、
そこには、そこに言葉で書いてある内容以上のメッセージがあった。

こうでなくちゃいけないな。手紙というものは。

そもそも手書きの文章には、
口頭での会話や、ゼスチャー以上の伝達力があるんだけれども、
その要素の中で、
手書きの文字というのは非常に重要なファクターだ。

前にどこかで似たようなことを言ったことがあるが、
ある年齢を越えたら人はみな、
自分の手書きの文字にも責任を持たなければならないと思う。

それがしいては、その人物の評価にまでつながってしまう・・・と思うのだ。

事実、俺は達筆な女性に弱い。
というか、そういうところに無頓着な人は嫌いである。

でも別に何々流とか、
習字教室の教科書のような文字を良しとしているわけじゃぁないよ。

ようは、
「これが私です!」
って思いながら字を書いているか?という神経の問題である。

( じゃぁ、お前はどうなのだ?と言われそうだが、
まあこの際、自分のことは棚に上げて述べさして下さいな。ははは )

とにかく、毛筆の手紙には、
“文化”を感じるんだよな・・・日本人としての。

普段どんなにグローバルな日常をおくっていようが、
普段どんなにチャラチャラしていようが、
忘れちゃいけない部分っていうか、
持ってなけりゃいけない部分ってのが、
俺は、その人の中に流れる“文化”だと思う。

それを人は、“たしなみ”と言うのではあるまいか?

戦後洋風に洗練されてきた、
スマートな立ち振舞いや身だしなみ、
そして挨拶やマナーは、
言ってみれば日常社会の中ではもはや常識と呼ばれている。

こざっぱりと洋服が似合うのは当たり前。
レストランでのマナーも当たり前。
ネットで世界中とつながって、国境を越えた意識で人と接するのも当たり前。

しかしそんな現代だからこそ、
自分の中に流れる“文化”を意識して生きる必要があるんじゃないかな?
な〜んて思ってます。


まぁ、のうがきはこのくらいにして、

美人で、聡明で、
和服が着れて、
普段はどうであれ、きれいな日本語が話せて、
毛筆でしっかり手紙が書けて・・・

と同時に
英語も話せて、jokeも通じ、
ジムにかよって身体も鍛えている。

そんな女性(ひと)がかっこいいと思うんですが、いかがでしょうか?




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